◆お手頃ジュース、南米へ
甘い香りの粉をコップに入れ、水を注ぐと、オレンジや緑など色とりどりのジュースができあがる。名古屋市西区で一九五〇(昭和二十五)年に創業した松山製菓の看板商品「粉末ジュース」だ。パイン、グレープ、イチゴ、メロン、オレンジの五つの味が定番で、六一年の発売から半世紀を超えて愛される。
オレンジジュース一瓶が四十五円前後の当時、粉末ジュースは一袋五円。コンビニや自動販売機で簡単に飲み物が手に入る時代ではなかったこともあり、家庭で人気を集めた。今は同社のインターネット販売で五十袋入り八百六十四円。一袋は十七円ちょっとだ。
「これと同じものを作れますか?」。昨年十一月半ば、輸出業者から海外製の粉末ジュースのサンプルが持ち込まれた。南米で販売したいという。「今でも粉末ジュースは海外ではポピュラー。スーパーの棚にずらっと並んでいる」と、松山製菓社長の伊原正則さん(59)。もちろん製造は可能で、商談がまとまれば今春にも出荷を始める。
実は、粉末ジュースの輸出は初めてではない。既に六〇~七〇年代、米国や中東、アジアなどで販売した実績がある。むしろ輸出が中心で、会社全体の年間売上高四億円のうち半分程度を占めた。あでやかな着物姿の女性を表紙に起用した当時の英文パンフレットや、販促用の看板が残る。
潮目が変わったのは七一年のニクソン・ショック。一ドル=三六〇円で固定されていた為替相場は流動化し、一気に円高へ。海外販売はスナック菓子も含めた全体で数百万円に縮小し、八〇年代後半に粉末ジュースは海外から撤退した。
あれから三十年。少子化が駄菓子業界の先行きに影を落とす。食べてもらう「口」をどう増やすか。打開策の一つが海外市場の再開拓だ。松山製菓が加盟していた菓子輸出促進の業界団体は昨年、一般社団法人に衣替えして体制を強化。海外でPRする取り組みを一層、進めようとしている。
そんなタイミングで持ち込まれた南米向けの商談。販路拡大につながるかは未知数だが、伊原さんは「海外再進出の足掛かりになれば」と期待する。駄菓子のターゲットは少数の富裕層ではなく、一般の消費者。うまく浸透できれば、ボリュームは大きい。
今、松山製菓の粉末ジュース製造は危機を迎えつつある。二台の包装機は昭和四十一年製で老朽化し、いつ壊れてもおかしくない状況。修理できる職人は高齢で退職しており、故障したらアウトだ。新しく買うと一台二千万~三千万円かかる。国内の需要だけでは導入に踏み切れない。
会社の成長期を支えた商品であり、いまだに「粉末ジュース」でネット検索して松山製菓を知り、訪ねてくる業者もいる。「今でも『会社の顔』。海外展開を成功させ、新しい包装機を導入し、次の半世紀も作り続けていきたい」。伊原さんは力を込めた。
アールエイチ産業医事務所
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