地球から一億五千万キロ離れた金星に五年がかりでたどり着き、表面の雲の撮影に成功した金星探査機「あかつき」。カメラのシャッターを動かしたモーターの、中核部品であるコイルを作ったのが、多摩川精機(長野県飯田市)の宮地優子(59)=同市=だ。「無事に動いたとニュースで聞き、ホッとしました」。子どもを思う母親のような表情を浮かべ、そう振り返った。
山あいに木造の平屋が並ぶ同社の第一事業所では、女性ばかり十七人の技術者が、手作業でモーター用のコイルを仕上げている。このモーターが使われるのは、宇宙の神秘を探る人工衛星や、最新型の戦闘機など「百パーセントの正確さ」が求められる精密機器ばかり。地元の農業高校を卒業して入社して以来、コイル作り一筋四十年の宮地だが、「今でも、宇宙に行く品を作るときは胃が痛んでしまいます」と苦笑する。
コイルは銅線を輪っか状に巻いたもので、電気を流すと磁力が生まれる。磁石が引き合ったり、反発し合う力を利用し、モーターの回転力に変える。電気で動くあらゆる製品に内蔵されるモーター。電気を流す銅線が長いほどコイルの巻き数が増え、発生する磁力は大きくなり、それだけモーターの出力は高まる。
宮地が、手元にある直径五センチの円筒状の金属に、詰め込んだ銅線の長さは実に二百十メートル。筒の内側を三ミリおきに仕切っている小さな溝に、輪っか状にした銅線を白い箸のようなへらを操って、器用に滑り込ませていく。溝一つ当たりに五十個ほどの輪っかを納めるが、銅線が一本でもよじれたり、ゆがんだりすれば、決められた本数が入らない。今でも機械では代わりができない根気のいる作業だ。
宮地らが手掛けるコイルは、特殊な用途のモーターに使う一品物ばかりで、サイズや仕様はそれぞれ異なる。銅線の太さも、力を入れないと曲がらない直径一ミリから、髪の毛より細い直径〇・〇四ミリまでばらつきが大きい。
特に極細の銅線は、力の入れ方を誤ると、表面が傷つき、モーターは使い物にならなくなる。製品によって太さが数十倍も異なる銅線を、力加減を絶妙にコントロールしながら、それでいて手を止めることなく、次々と作業を続けられるのが宮地の真骨頂だ。
宮地が初めて宇宙関連の仕事を任されたのは三十歳のとき。小さなほこりが入ることも決して許されないが、当時使っていた木製のへらでは微量の木くずが出てしまう。そこで別の電機メーカーで働く夫からアドバイスを受け、新たに樹脂のへらを取り入れることを考案し、問題を乗り越えた。今ではこのへらを職場の多くの仲間が使っている。
これまでに培ったノウハウは後輩が引き継げるよう、A4サイズのリポート用紙で千枚を超す「要領書」に書き記してある。「どんな新しい技術が求められても、答えはきっと私たちが積み重ねてきた経験の中にある」。手を動かしてきた分だけの自信が宮地の言葉に宿っていた。
アールエイチ産業医事務所
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